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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2009年09月15日

いのりの道

kao10羽黒山に続く


三神本殿






庄内町清川・御諸皇子神社

源義経一行平泉の藤原秀衛に身を夜する途,
通夜し一行と別れ羽黒権現に義経の代参として行った弁慶を待ちながら
義経は青葉の笛を吹き,それぞれに舞をまい道中の安全と安産を願ったとされる。

                                     義経記より

その折に奉納されたと伝えられる品です。









本来御諸皇子神社から月山・羽黒山・湯殿山の出羽三山を描いた図

  


Posted by 哲ちゃん at 20:28Comments(0)

2009年09月15日

歴史・ロマン

 inu 義経伝説が残る場所





金剛力士像   1761年完成




仏師・ 伊藤権吉氏 酒田の人



  随身門<仁王門>

その場所は 庄内町清川、<国道47号線。>
 「最上川」と平成の名水百選「立谷沢川」が合流する地点 
・庄内町歴史の里清川

icon09鎮守の森・御諸皇子神社



社殿
建築様式は権現作り出羽三山神社の合祭殿を模したものと言われ
社殿に繋がる石段にも趣をかんじる

末社稲荷神社は桃山時代の作。
船玉神社は船運繁栄と安全の祈願場所としての位置付けがあった。



1186年3月3日
源義経一行が京都より平泉の藤原氏に向かう途中
この神社に通夜し舞楽奏し道中の安全祈願し最上川を船で上がった。


その時に奉納されたと伝えられる品が
神社に残されています。


enpitu2いにしえの最上川船運盛んな時代は
出羽三山参拝道の入り口としてまずこの神社で
手を合わせ神社裏山から鉢子へ、
後にれる古道をとおり羽黒山へと詣でた。
  


Posted by 哲ちゃん at 08:46Comments(0)舞台